建築家の独り言-3

『古典主義建築の系譜』ジョン・サマーソン著の読み返し

     『古典主義建築の系譜』との出会い

  『古典主義建築の系譜』を、25年ぶりくらいで読み返してみました。先日、この本について友人と話をしたことがきっかけです。
 『古典主義建築の系譜』はジョン・サマーソンによる著作です。私が読んだのは鈴木博之さんが翻訳したものになります。「古代ギリシアと古代ローマを範とした建築が、ルネサンス以降にどう変化しながら現代へと受け継がれてきたのか」といった事が書かれています。
 学生時代に、恩師である黒沢隆先生がこの本を薦めてくださいました。私が「建築ってなんだかよくわかりません。自分で本でも読んで考えようと思うんですが、何を読めばよいですか?」と、かなり甘えた事を言ったのに対して、黒沢先生がまじめに相手をして何冊かの本を勧めてくださいました。その中の一冊です。なぜこの本を薦められたのか、当時はよく分かりませんでした。「きっと建築ってのはこういうもんだ”という一つの事例を教えてくれたんだろうなあ」と思ったように覚えています。

 それから読み返す事はなかったのですが、何年も経ってからこの本を思い出す機会がいくどかあり、段々と見方も変わっていきました。大学を卒業した後も、私は年に数回ほど黒沢先生のお宅に伺うようにしていました。学生の頃とは違う話もするようになります。黒沢先生は、クロード・レヴィ=ストロースのような〈構造主義〉に、そしてロラン・バルトのような〈記号論〉に共感する一面をもっていました。「僕は〈文化人類学〉のように物事を見るのが好きなんだ。それは僕にとって物事が成立するに至った理由を構造的に理解するという事なんだ」と話されたことがあります。「〈日本建築〉がもっている記号性をつまびらかにしたい」という話もよくされました。先生と構造主義〉や〈記号論〉について話をしていく中で、私は「サマーソンは古典主義建築の系譜』で記号の変遷を追いかけている」と考えるようになります。それまでぼんやりと「そうじゃないかなあ」と思っていたことが、はっきりと「〈記号論〉の本なんだ」という確信へとかわっていきます。思い返してみると、サマーソンは古典主義建築をラテン語になぞらえて話を進めています。学生時代にはあまり気にも留めていなかった原題の『THE CLASSICAL LANGUAGE OF ARCHITECTURE』も、〈記号論〉として書いた本に相応しいタイトルに思えます。〈記号論〉とは、言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが言語を記号として考えたところから始まったという見方があります。「建築を言語として見るという事は、建築を記号として見るという事だ」と言っても良いように思います。そうして私は「黒沢先生は建築を記号として見ることもできる”と伝えようとして、『古典主義建築の系譜』を薦めたのではないか」と考えるようになっていきます。

福島慶太

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