「工作的な要素が感じられるデザインをしたい」と思う事があります。工作的といって私がイメージしているのは、工芸ほど高度な熟練技術を必要とはせず、手仕事によって単純な技術で作る事が出来る一品ものといったところです。思いはあるものの、実際にはそれほど工作的なデザインをすることが出来ずにいます。
「例えば家をつくるなどは、手仕事による一品生産だと言えるのではないか。」と考える人もいるでしょう。全く同じ家はそうそうないという点では、家は一品生産だという見方が出来るとは思います。ただ私には、家は手仕事でつくられているとはもう実感できなくなっています。家を既製品の組み合わせだけで完成させようと思ったら、それほど手仕事を入れずに進めることが出来るためかもしれません。基礎だけは手作業の割合を落とすことが難しいように思いますが、一昔前の仕事と比べて今の現場の仕事は、出来上がった商品を組み上げているように見えるかもしれません。工事が高効率化された住宅メーカーの家などは、プラモデルを組み上げるような印象に近いと言えるかもしれません。とは言っても、家はプラモデルよりはるかに大きなものなので、既製品を適切に選んだり、適切な位置に適切に組み上げるという作業も大変な作業ではあります。昔に比べて熟練度や作業量を求められないとはいえ、どこをとっても組み上げるのは人なので、職人さんたちに体力や勤勉さや智恵などは必要です。
私の仕事の話に戻ると、既製品の組み合わせだけで家をつくっているわけではありません。しかし、現場監理をしていると、家づくりにかかわるどの職種にも既製品を組み合わせるという感覚が入り込んでいることを実感します。そういったところが、工作的なデザインを困難にしているように思う事があります。
例えば、現場で障子の打合せをしているときに、建具屋さんに「障子の組子の見付は7.5mmしか出来ない。」と言われた事があります。単に組子を加工したらよいだけの話なので、見付はどうとでもなるはずです。ましてや組子の割付が大きい場合などは、見付寸法が大きい方が安定します。本当は出来ないのではなくて「いつも使う流通している加工済み既製品組子の見付が7.5mmだ。」という話です。でも、きっと建具屋さんの感覚はすでに「出来ない」となっているのだろうと思います。
他にも、例えば板金屋さんに「庇の唐草の出は20mmで下がりは30mmしか出来ない。」と言われたことがあります。これも本当は出来ないのではなくて「いつも使う流通している加工済み既製品がその寸法だ。」という話です。でも、やはり板金屋さんの感覚ではすでに「出来ない」となっているのだろうと思います。
こういった話をしてきた建具屋さんも板金屋さんも、とてもまじめに仕事に取り組んでいます。仕事ぶりも丁寧です。その彼らでも既製品を取り入れずに自分たちの仕事を全うするのが一般的ではなくなってきているという事かもしれません。このような状況になったのは「常に同じ質を要求される。」「クレームが無いように質を担保する。」といった事情があるからかもしれませんし、「もう自力できれいに加工するには技術力が不足している。」「人件費を考えるとばかばかしくてやれない。」という事なのかもしれません。
多くの職種で似たような話があります。現場で大工さんがノミもカンナも使わなくなって久しく、ゲンノウもノコギリもめったに使わないように思います(電動ノコギリや電動カンナは使います)。使う必要がなければ、技術力も身につかないし腕は落ちる一方だというのは想像に難くありません。もちろんきちんと自前でカンナをつくって現場にのぞむような職人さんもいますが、めったにお目にかかる機会はありません。そういう昔ながらの職人さんの人件費は割高になります。技術に見合った人件費として当然の帰結かと思います。こうなると、工作的なデザインのものをつくるために昔ながらの技術を駆使できる職人さんに頼る限りは、一定額以上の工事費が必要になります。
単純なつくりであっても、工作的なものは割高となりがちです。私の事務所の仕事は、建築家としてはローコストなものが多く、コストコントロールはかなりシビアになります。割高な工作的なものよりも、安くあがる既製品を組み合わせる事を選ぶことが多いと言えます。
工作的なデザインを実現するために、昔ながらの技術を駆使できる職人さんに頼る他に方法は無いものか、ローコストな仕事の中でも工作的なデザインを実現できないものか、そういったことも四苦八苦しながら考え続けています。
二年ほど前に家具職人さんと話をしたときに「旅行で東南アジアに行くといつも思うんだけど、日用品にしろお土産にしろ、街中を歩くと結構大変な手加工しているのがすごく安く売っているんだよ。もう彼らの方が安いし早いし上等なんだろうなって思うよ。」と言われたことがあります。「職人さんにできる事はなにか?」といった見方をすると、状況は刻一刻と変わっているように感じます。いつだってそうかもしれませんが、「以前のやり方と同じ」では通じない事もあるのだろうと考えています。
今できる事をきちんと見極めながら、工作的な要素が感じられるデザインにも取り組んでいきたいと考えています。
福島