月別アーカイブ: 2016年3月

H邸リフォーム現場-2

リビングの飾り柱・飾り梁に使う材木の打合せをしてきました。

先日材木屋さんでお施主さんと一緒に選んだ、古材の杉と松です。

これらは江戸時代後期のものだそうです。鉋(かんな)ではなく、釿(手斧、ちょうな)という道具を使って木の表面を平らに仕上げてあります。

木の表面に、繊維と直交方向に線が見えているのが、釿で仕上げた跡です。昔の職人さんの手仕事の跡が見えて、なんだか温もりが感じられます。

年月を経た材料はそれだけで力強さがあり、色合いや艶もきれいで味わい深いです。部屋のインテリアに、グッと深みを増してくれると思います。

 

打合せではどの材をどこに使うか、組み合わせ方はどうするかなどを決めました。

真っ直ぐな材を柱に、大きい断面の材を梁に、少し曲がった形の材を筋交に使います。

こちらの作業場で加工してもらい、現場に運び込まれて取付けとなります。

古い材の加工は大変だと思いますが、素敵な仕上がりになりそうです!

 

遠山

作業場にて古材の確認

作業場にて古材の確認

木の表面に見える釿の跡

木の表面に見える釿の跡

小屋組みリフォームの話-2

ちょっと専門的な話です。

 

前回のK邸小屋組みの話を書いてしばらくたってから、何人かの構造家と木造の小屋組みについて話をする機会がありました。そのほとんどが「昔の‘筋違’や‘火打ち梁’は地震に対してそれほど効果を期待できない。」という見解でした。

特に友人の山口和弘さんとは、あれこれと話をしました。彼は木造を専門とする構造家で、なんとなくおしゃべりしているだけでもとても勉強になります。

 

山口さんとの会話の概略は、以下のようなものです。

「少し前まで、構成部材全体でなんとなく変形を抑えるのが小屋組みの作り方だったと考えられる。」

「そもそも、‘筋違’や‘火打ち梁’で堅い面を作って水平荷重に強い木造軸組みをつくろうという発想は、基本的には明治時代以降の考え方だと言える。」

「その明治時代以降の小屋組みの考え方についても、実際のところ‘火打ち梁’や‘雲筋違’が面剛性を十分に高めているか(地震などの水平力に対して効果があったか)というと疑問はある。」

「昔は‘筋違’や‘火打ち梁’を釘打ちでとめているが、この方法ではあまり面剛性を高める事は出来ない。」

「‘火打梁’をボルトで留めるとそれなりの効果を見込めるが、かなりの数の‘火打梁’が必要であり、実際のところ現実味が乏しいのではないか。昔の建物には、そこまでの数の‘火打梁’は入ってはいない。」

「結局は‘火打ち梁’や‘雲筋違’を使っても、小屋組みは構成部材全体でなんとなく変形を抑えていたと考えられる。」

「小屋組みに‘水平荷重’を負担させる事を論理的に強く意識するようになったのは20年くらい前からだと言える。」

 

人は長い間にわたって木と向き合ってきましたが、今もこんな風に‘ああでもないこうでもない’と工夫を重ねています。昔の見方にも今の見方にも説得力はあります。私達が「木をどのように捉えるのか?」によって、これからも木は様々な姿を見せてくれるだろうと期待もします。私も木の中に何かを見つけられるように頑張っていきたいと思います。

福島

H邸リフォーム現場-1

アンティークを活かすリフォームの現場、着々と進行中です。

 

元はハウスメーカーの住宅で、鉄骨やパネルで造られています。メーカー独自の構造で詳細な図面もないため、壊さないとわからない部分が多くあります。なかなか大変なリフォームです。

壁のボードを剥がしてみたら予想外の位置に鉄骨が入っていて、配管や設備等が入れられなかったり、既存の設備等をよけて新しい部分を造ったり…。現場と相談しながら、臨機応変に対応していく必要があります。

 

難しい現場ですが、大工さん、職人さんたちはとても丁寧に仕事されています。

部屋の大きさや形がだんだんと見えてきて、進捗が楽しみです。

 

遠山

現場内観-1

現場内観-1

現場内観-2

現場内観-2

建築家の独り言-1

恩師である建築家のお墓参りをしてきました。

今日は、黒沢隆先生の祥月命日です。

月日が経つにつれて、大きな何かをなくしたという思いが少しずつ強くなっていきます。

黒沢先生から宿題も出ていたのですが、まだ手を付けてもいません。

もう黒沢先生に見ていただくことは出来ませんが、宿題にもきちんと向き合おうと思っています。

 

福島

小屋組みリフォームの話-1

image

ちょっと専門的な話です。

この写真は、K邸リフォームの寄棟(よせむね)屋根の小屋組みです。築60年ほどの既存家屋の解体工事が終わった頃に、丸太梁の小口に錐(きり)が刺さっていたのが気になって撮ったものです。

友人の建築家にこの写真を見せたところ、錐よりも小屋組みに目が行ったようです。彼は「平面的に交差する小屋梁が‘渡り腮(わたりあご)’で組まれていないし‘雲筋違(くもすじかい)’も無い。この小屋組みをつくった昔の大工さんはどういうつもりだったのかな?」と言っていました。‘渡り腮’と ‘雲筋違’はスケッチに描いたようなものです。小屋組みの変形をおさえるために使われます。

「元の小屋組みは、地震や風などの‘水平荷重’に対して弱いんじゃないか?」と彼は言っているのだろうと思ったので、「‘鉛直荷重’(屋根や雪の重さ)を支える事にばかり気を使うような仕事は、昔の市井の大工さんには珍しくないんじゃないかと思っている。昔の小屋組みのけっこう多くは‘水平荷重’に対して弱いと思う。」といった旨の返事をしました。

 

私は「建築家や大工さんの多くが、小屋組みに‘水平荷重’を負担させる事を論理的に強く意識するようになったのは最近の話なんじゃないか。」と思っています。それ以前から‘渡り腮’や‘かぶと蟻がけ’などの仕口を駆使しながら‘雲筋違’や‘火打ち梁’などを入れて小屋組みを作るのは、それらの部材にのみ‘水平荷重’を負担させる事を考えていたわけではなく、そういった部材と仕上げ材も含めた他の部材で‘全体的になんとなく小屋組みの変形をおさえる’ようにして、小屋組み全体でなんとなく‘水平荷重’を負担する事を期待していたからなんだろうと思っています。なんとなく、です。なんとなくというのは、客観性がある方法論ではないという程度の意味です。その昔にK邸を作った大工さんは、‘渡り腮’も‘雲筋違’も無しでなんとなく小屋組みの変形をおさえられると、なんとなく考えてたんじゃないかと想像したわけです。友人が感じたように‘水平荷重’に対する意識があまりない大工さんだったんだろうなと思います。

 

K邸の小屋組みについては、改修前よりもしっかりと‘水平荷重’を受けられるような対応をしました。屋根面は下地合板でしっかりと固めて、交差する小屋梁は金物で緊結して、小屋束を補強した上で小屋束間に耐力壁と同じ仕様で筋違を入れました。

今の新築の家ではプレカット材と厚い合板で構造体を作るので、リフォーム以外ではなかなかこんな小屋組みの作り方をする機会も無いんだろうと思っています。古い木造の家のリフォームは、昔と今の‘技術’や‘考え方’を整理するという面もあり、なかなかに難しいものです。

福島

渡り腮スケッチ

和小屋