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葛飾区T邸-15(住み手の個性_暮らしの情景)

竣工後三年半が経ち、あらためて内観写真を撮影する機会がありました。
言うまでもない事かもしれませんが、竣工時と今とでは様子が違います。今の方が ‘住み手の個性’ をより強く感じられるようです。

三年半後のダイニングとキッチン

Tさんの家への思い入れは、とても強いものでした。その想いに応えるべく、Tさんの好みと暮らし方を注意深くデザインに反映しています。結果として、竣工時には ‘個性’ を感じられる家になっていたと思います。私が意図したこともあり、内部空間には粛然とした雰囲気が漂っていました。
Tさんが暮らし始めると、より色濃く ‘住み手の個性’ が反映されていった印象です。以前からお持ちの使い慣れたものが、家の中に並びます。一階を見渡してみると、家具とペンダントライトと時計によって、具体的な暮らし方が浮かび上がって見えてくるようです。さらに食器やミシンや小物入れなどの場所が定まって、こと細やかにTさんらしい ‘暮らしの情景’ が描かれたようにも感じます。そうして、粛然とした雰囲気を残しつつも、親しみやすさを併せ持つ空間になっていったように思います。
改めてT邸に向き合ってみて ‘住み手の個性’ がデザインを仕上げるように感じました。

三年半後のリビング

福島

葛飾区T邸-14(日本建築らしさ)

Tさんが住みはじめてしばらくすると、娘さんの幼馴染の女性が遊びにいらしたそうです。彼女は「お蕎麦屋さんでもできそうね」と仰っていたとの事です。私には‘家の日本建築らしさ’と‘店舗の和風インテリア’では、デザインが異なって見えます。なんというか、店舗のインテリアにはある種のケレン味が求められるように感じます。しかし彼女には、その違いはさほど気にならなかったのだろうと思います。かつてTさんの暮らしにあった‘日本建築らしさ’は、彼女にとって馴染みのないものだろうと私は考えました。Tさんにそうお伝えすると「あの娘は小さい時からマンション暮らしだからねえ」と仰っていました。日本建築らしさを感じた経験が店舗の中にしかないのであれば、彼女の感想はもっともなものです。

多くの人にとって、かつての日本的な建築は既に日常にはないようにも思えます。ある人の‘日本建築らしさ‘ とは、舞台セットのように虚構の世界に存在するのかもしれません。あるいは、他国の人が想像を膨らませたそれと変わりがないのかもしれません。そういった感覚によるデザインもあって良いと思います。しかし私には「きちんとした ‘日本建築らしさ’ があるのではないか」という想いもまたあるわけです。

つくり手としては、かつて日本にあった家をしっかりと学び、その有り方に意味を見出し、そこに新たな解釈を加えて、今に相応しいきちんとした ‘日本建築らしさ‘ をデザインできるようにも思います。なかなか難しい事ではあるのでしょうが、あまり厳密に首尾一貫した論理性のようなものを求めずに、感性を拠り所として含みを持たせるのであれば、有効な手立てと言えるのではないでしょうか。

それでは、住み手にとって ‘日本建築らしさ’ とはどのような意味を持ち得るのでしょうか。 ‘日本建築らしさ’ を求める人には何らかの経験があり、それに伴うイメージに心惹かれていると見る事は出来そうです。そうであれば、住み手にとって意味のあるデザインとするには、つまるところそのイメージの中に意義を見いだすのが道理に思います。住み手のイメージが `きちんとしたもの’ であれ `ケレン味のあるもの’ であれ、つくり手が考えるきちんとした‘日本建築らしさ’ を軸に据えて取り組む事で、住み手にとって ‘日本建築らしさ’ はより意味を持つように思えるのです。

福島